南蛮菓子いろいろ
東夷西戎南蛮北狄。まことにもって中華思想の権化のような言葉です。その大陸文化をお手本として学んできたわが国も、新たに知った西欧世界を、唐、天竺のさらに南の野蛮な地として、本家に習い南蛮と称しました。思えば不遜な表現ですが、そう呼ばれたスペインやポルトガル、あるいは紅毛とされたオランダやイギリス等からは、それまでとはまったく違った文物、文化が流れ込んできました。「南蛮物」と呼ばれたそうした多くの中には、見るも珍しいお菓子の一群もありました。大阪城医を務めていた寺島良安という人が正徳3(1713)年に著した、当時の百科事典とも言える『倭漢三才図会略』や、西川利休(如見)の手になる享保5(1720)年の『長崎夜話草』、あるいは享保3(1718)年の『古今名物御前菓子秘伝抄』といった江戸中期の書物に、都合18種の南蛮菓子を読み取ることができます。すなわち、おなじみのカステイラ、ボーロ、コンペイトウをはじめ、ハルテイ、コスクラン、ケサチヒナ、ケジャト、アルヘル、カルメル、オベリヤス、パアスリ、ヒリョウズ、オブダウス、玉子索麺、ビスカウト、ハン、チチラアト、およびタルタです。
ただ、ビスカウトはビスケット、アルヘルはアルヘイトウで飴の一種かと、すぐに察しのつくものもあれば、どう想いを巡らせても見当のつきかねるものも少なくありません。
さて、そこでこのうちのケジャトですが、いかなるものか調べるのに少々手こずりました。はじめは、スペインで古くより伝えられている素朴なクッキーの一種のガジェータ galleta あたりがなまったものとも思いましたが、どうもそうではなかったようです。筆者が過日、ポルトガルを訪れた折、やっとその手掛かりを得ることができました。その名もケイジャーダ queijada なるチーズケーキの類を見つけたのです。ケジャトとケイジャーダの相似形。これは、ガジェータに結びつけるより無理がありません。実物はナチュラルタイプのチーズクリームに卵と砂糖を加え、シナモン
で香りをつけて焼き上げたものです。
ですが当時、本当にこうしたチーズが運ばれたのでしょうか。日本人が既にしてこのチーズケーキを口にできたのか、何とも申し上げられません。ただ、ことのほか新しいもの好きで、西欧のものなら何でも興味を示した、時の天下人、織田信長あたりなら、ひょっとして誰より先駆けて口に運んだだろうことは、容易に察しのつくところです。
しかしながら、バターや牛乳でさえ、その匂いや風味に良い印象を持たない人の多かった当時の状況からみて、それよりさらにクセのあるチーズ
はやはり口に合わなかったのでしょう。結果、ほどなく消えてしまったようで、いつしか人々の口の端にさえのぼらなくなってしまいました。
さて、ここにご紹介するケジャト、当時のものとまったく同じかと問われれば答えに窮しますが、まずはご賞味あれ。これにより、かつて信長が想いを広げた世界の一端を、いくらかでも感じ取っていただけたら幸いです。
文献:吉田 菊次郎 編・著 「クリムとドリムの冒険」偉人が愛したスイーツ