裁判で争うことになった2つのザッハートルテ
どっしりとした味わいのこのチョコレートケーキは、ウィーン生まれの世界の
銘菓です。欧米の人々はこぞって甘いものが大好きですが、このお菓子はそ
んな彼らにさえ甘すぎるとみえて、申し訳程度にしか砂糖を加えずに泡立てた
生クリームを添えて食べるほど、重厚な味に作られます。
一説によると、このお菓子、ナポレオン戦争後の体制を定めるべく開かれた
ウィーン会議の折、「今まで誰も食べたことのないようなものを作るように」との
メッテルニヒの命を受けて、菓子職人エドヴァルト・ザッハーが作ったとされて
います。ところが、調べてみるとこれは、彼の父のフランツ・ザッハーが16歳の
時、1832年に作ったものであるとか。ちなみにエドヴァルトはフランツの次男で
す。ウィーン会議が開かれたのは1814~15年ですから、作った人も違います
が、その年代も合いません。
多分、先ほどのストーリーの方がお話として面白いとして、人々の口の端に
のって流れていったのでしょう。物事のいわれや逸話にはよくあることです。
さて、そのエドヴァルトは44年後の1876年にザッハーホテルを開き、彼の父
フランツの手掛けたザッハートルテをホテルの名物にしました。
1930年代に入り、経営が苦しくなったザッハーホテルが同市内のデメル菓子
店に援助を仰ぎました。そうした縁から門外不出だったザッハートルテの製法
が流出し、デメルでも同じ名前で販売されるようになってしまいました。これに
対して、ホテル側はその差し止めを求め、裁判で争うことになります。
7年、9年、あるいは10年ともいわれる長い論争の末、1962年に決着がつきま
した。双方ともそのお菓子を作ってもよいが、オリジナル・ザッハートルテの名
称はホテル側の占有に、デメルでは単にザッハートルテとして売るように、との
判決が下ったのです。ちなみに、ホテル側はケーキの間にアンズジャムをサン
ドし、デメル側のはそれをしていないだけで、配合や作り方にはほとんど差が
ありません。
なお、この争いについても、「ザッハーの娘とデメルの息子とが結ばれ、その
作り方が伝わってしまった。そこでホテル側がデメルを訴えた・・・・・・」との話が
巷間伝えられています。筋書きとしてはこちらの方がずっと面白く聞こえますが、
実際はもう少し現実的な争いごとだったようです。
ところで、その後、今度はかつてホテルを助けたデメル菓子店の方が、経営が
思わしくなくなりました。1990年代に入る頃のことです。そのときは市が援助の
手を差し伸べました。ウィーンの名門を消してはならじとの市民の後押しによっ
てです。そして再建策のひとつとして、すべてのお菓子の配合を創業当時のも
のに戻そうということになり、昔のレシピを探し出し、その復活に力を注ぎました。
よって、今あるデメルのお菓子は往時のまま・・・・・・。もちろんザッハートルテも。
もしウィーンを訪ねる機会を持たれたら、本家のホテルのものと復活したデメル
のものを、ぜひとも食べ比べされることをおすすまします。お味?もちろんどちら
も絶品です。
文献:吉田 菊次郎 編・著 「クリムとドリムの冒険」偉人が愛したスイーツ